フリクション
鉛筆。シャープペンシル。ボールペン。そんな日常づかいの筆記具に「消せるボールペン」という新しいジャンルを切り拓いた立役者。それが2007年に国内販売を開始した『フリクション』である。「摩擦(friction)」に由来する名前のとおり、書いた文字を専用のラバーでこすると消えるこの画期的な商品は、発売直後から世界で旋風を巻き起こした。そんな『フリクション』はどのように生まれ、そしてどのように世界を書きかえていったのか。パイロット史上最大級のヒット商品の開発の背景をひもとき、発売当時を知る企画・営業のメンバーに聞いた。
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柴田 果意
2002年入社
営業企画部
筆記具企画グループ 係長
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木橋 庸二
2005年入社
営業企画部
海外企画グループ 係長
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鈴木 直之
2002年入社
アシスト営業課 係長
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欧州での『フリクション』誕生から
日本発売までの経緯
2007年に発売され「消せるボールペン」の代名詞となった『フリクション』。その開発に約30年もの年月を要し、ヨーロッパで産声をあげたことはあまり知られていない。『フリクション』のルーツとなる温度変化によって変色するインキは1975年に完成。当初は色の変わるコップや髪の色が変わる人形など筆記具以外に活用されていたが、2002年にこすると色の変わる不思議なボールペンとして発売。それを見たヨーロッパ会社のマーケティング担当の「カラー・トゥ・カラーレス(ある色から透明に)にならないのか」という一言が転機となり「消せるボールペン」構想は一気に加速。そして2006年1月、『フリクション』はヨーロッパでの発売を迎える。子どもの頃から万年筆を使う文化背景もあり『フリクション』は発売から1年で販売本数750万本という異例の大ヒット。その結果を受け日本でも販売されることになったのである。
半信半疑だった日本での展開を確信に変えた
3日間のテスト・マーケティング
「『フリクション』の営業で一番苦労したのは、在庫が追い付かないというクレームですかね。もちろん、値段が高いとか、筆記距離が短いとか、色んな不満の声もありましたが、それを覆す程の売れ行きでした」。当時を振り返り、懐かしげにそう語るのは欧州での『フリクション』発売直後、2009年から2012年までフランスに駐在していた木橋だ。ヨーロッパ中に『フリクション』旋風が巻き起こり、あまりの人気で生産体制が追い付かないほどだったという。しかし、そんなヨーロッパでの爆発的ヒットを横目に日本では「売れる」という確信はなく、社員はみな半信半疑だったそうだ。「正直“日本でも、それほど売れるのか?”という空気が社内に漂っていました」と話すのは営業の鈴木。ヨーロッパと日本では文化が異なるだけでなく、日本の筆記具メーカー各社が過去に「消せるボールペン」の類似商品を市場投入するも定着しなかった苦い経験があったからではないかと当時の様子を振り返る。そのような状況下で市場の反応を探るために行われた、有名文具専門店での3日間のテスト販売。自分たちの予想が間違っていたと気づくのに時間はかからなかった。3日分として用意した3000本のうち、2500本が初日だけで売れたのだ。大慌てで名古屋の工場から追加分を何度も新幹線で運んだという。2日目は4000本近くが、3日目で2400本近くが売れ、3日間で計190万円近くを売り上げるという文具店の歴史からしても新記録となるような人気ぶりだった。
百聞は一見に如かず。
熱狂を招いたのは「体験」だった。
なぜ、それほどまでに『フリクション』のテスト販売は人々の心をつかんだのか。その理由は「とにかく実際に書いて、消してもらう体験に重きを置いたから」だと鈴木は言う。百聞は一見に如かず。「書いた文字が摩擦熱で消える」と説明されるよりも、自分で「消える」を体験してもらうほうが理解は早い。実際に書いて消したお客様からは「わ、すごい!」「本当に消える!」と驚嘆の声が挙がり、1本ずつではなく1箱(10本入り)、2箱とまとめ買いをしていく人が後を絶たなかったという。このテスト販売の結果を受けて『フリクション』の国内販売が正式に決定する。テスト販売からわずか4ヶ月後、『フリクション』は満を持して国内で発売となった。
『フリクション』が消えた棚。
鳴りやまない電話。
満を持して国内発売された『フリクション』発売に伴うキャンペーンが「体験」を軸に組み立てられたことは言うまでもない。発売に携わった鈴木達はいかに消える体験を分かりやすく伝えるかに知恵を絞った。「『ショーゲキ体験キャンペーン』と銘打ったキャンペーンでは、ドライヤーとコールドスプレーを持ってデモンストレーションしました。あんなにお客様が前のめりで話を聞いてくれたのは『フリクション』が初めてでした」。営業チームの販売戦略は見事的中し「文字が消える」体験を提供することで顧客の目と心を奪っていったのである。革新的な商品の特徴を、最もインパクトのある形で伝えられたのは、取引店への販売も自ら担うパイロットだからこそと言える。結果、『フリクション』は日本でも鮮烈なデビューを飾ることになる。「発売からわずか数時間でどの店の棚からも『フリクション』が消えていました。そこからは『いつ入るんだ?』という問い合わせの電話が鳴りやまなかったのを覚えています」と興奮気味に語るのは当時営業として携わっていた柴田だ。『フリクション』は世界を変えてしまうかもしれない。そんな空気が社内に流れ始めていたという。そして、その予感が確かなものであることを理解するまでに、そう時間はかからなかった。