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2026.04.24

書道家 根本 知 さん「静かに見れば、どこにでも美はある」

書道家 根本 知 さん インタビュー

中学生の頃に仮名文字の美しさに魅せられて以来、仮名文字と平安の魅力を現代に伝える書道家としての道を歩み続けてきた根本知さん。2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』では題字の揮毫(きごう)と全編を通じて書道指導を担いました。そんな根本さんに、仮名文字や書の道の魅力について、そして現代において文字を手で書くことの意義についてお話を聞きました。

「書道」は、個性を伸ばし、書を究める芸道

― 根本さんが書道を始めたきっかけ、そしてさまざまな様式があるなかで「仮名文字」の世界に惹かれていった経緯を教えていただけますか。

原点は祖母の影響です。大正生まれで十分な教育を受けられず、戦後焼け野原だった東京の代官山で美容師として必死に生きた女性でした。彼女は、「人は字が上手い方が魅力的だ」と、私に習字を習わせたのですが、その祖母が愛読していたのが、与謝野晶子の『源氏物語』でした。気骨あふれる女性から眺めた源氏物語に共鳴していたからなのでしょうか。そうした祖母の好みが、私を仮名や平安文学の世界、そして平安の貴族社会の美意識へと導いたのだと思います。

中学生のときに母が経営する店のお客様が私の家庭教師となったことが、仮名文字と本格的に出会うきっかけとなりました。とてもスタイリッシュで、どこか貴族のような雰囲気を持っていた彼が、美しい色紙に小さな筆でさらさらと書くのを目にして、思春期の私は衝撃を受けたのです。「これは絵なの? 習字なの?」と問うと、彼は「習字でなく、書道だ」と言いました。白い紙に手本どおりに黒々と書く「習字教室の文字」とは明らかに違う、紙の上で細い線が踊っているような繊細で抽象的な美しさに、ドキッとしたのを覚えています。実は彼は駆け出しの書道家だったのです。勉強よりも、この美しい線のような文字に興味が湧きましたね。



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― 「習字」と「書道」の違いについて、お教えいただけますか?

「習字(書写)」は受動的で、いかにお手本に忠実に丁寧に書くかという技術の習得。いわば型の教育ですね。だから習字コンクールで賞を取った字は同じに見えます。それは、同じお手本を完璧に書写した結果だからです。

一方、「書道」は自分自身がどう表現するかという能動的な「道」。日本の芸道には「守・破・離」という原理がありますが、師について基本を学び、型を守る段階から、それを破り、最終的に型から離れて自分の表現を獲得する。中学生までの習字は国語教育の一部ですが、高校生になると書道は芸術科目となります。すると、歴史上の人物たちがその時代になぜその表現で字を書いたのか、背景にある歴史や社会情勢、思想を理解した上で、美意識を学び、個性を伸ばし、書を究めるといった芸道へと変わるのです。



心の形を表す紐のごとく、流れるようにつながる仮名文字

― 仮名文字の成り立ちについて、根本さんは「音」の重要性を説かれていますね。

中国から漢字が伝来する前の日本にはまだ文字が存在せず、話し言葉が持つ独特の豊かな「響き=音」を大切にする文化がありました。その後、平安時代の貴族たちは公式の場では一字一字に意味を持つ漢字を「真名(まな)」と呼んでいましたが、世界を音で捉え、自分の感情を「言葉の響き」で表現していた日本人にとって漢字は堅苦しいもので、話し言葉を書き記すには困難が伴いました。そのうち、自らの心を「音」で表現したいという思いが出てきたのです。特に大きかったのが恋心でした。貴族社会で相手にラブレター(和歌)を出すとき、より直接的に気持ちを伝えるために、漢字を捨てて、慣れ親しんだ「音」を乗せる記号として、漢字を崩した文字を借りました。これが「仮名(かな)」の始まりです。
※漢字(=真名)だけでは、当時の日本の「話し言葉=音」を表現することが困難で、「仮名」という表音文字が生まれた。
だから仮名文字は「字であって字でない」。半分文字でありながら、半分は音そのものなのです。現代アートでたとえるなら、音楽を絵画として表現した抽象画の巨匠、カンディンスキーの作品のように、仮名文字は「音としての言葉の響きを書き留める、抽象アート」と言えるかもしれません。



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平安時代の『源氏物語』の「桐壺」に出てくる和歌を書いた根本さんの作品。流れるように線が連なっている。

― 「仮名文字」独特の、流れるような線の連なりにはどんな意味があるのでしょうか。

平安時代の文学や思想を紐解くと、「心の形は、丸でも四角でもなく、紐のようなものだった」というのが国文学の定説です。

だから心は、ほつれ、乱れ、結ばれる。命から出ている紐状のもの(玉の緒)が心であり、それが絶えれば死んでしまう。そんな死生観の中で、心を相手に届けるための手段が、流れるようにつながる「連綿(れんめん)」と呼ばれる仮名の筆記体であり、心のように絡まり合う縦書きなのです。

また、仮名文字は、同じ「あ」でも多様な字の形があります。心の揺らぎを呼吸や音に近い形で表現するために、さまざまな字を組み合わせて自分のセンスや体温を相手に伝えて、会いたいと思わせるための恋文のツールでもあります。仮名文字は、相手と自分の心をダイレクトに結びつける役割を果たしていたんですね。

そして「心の形は、紐のようなもの」というのは、私の作家としてのテーマでもあります。 この秋、ニューヨークで展示会があるのですが、海外の方へ向けても「日本の心の形」をテーマとして、読ませる文字ではなく、「音的・呼吸的な仮名文字」の世界観を表現しようと考えています。



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左右ともに根本さんの作品。左は、『源氏物語』の和歌を写したもので、時を経た紙の色合いまで平安の表現にこだわった作品。右は、心の形を表す紐のような仮名文字を現代アートとして表現した。

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「書は人なり」―筆跡はその人の生き様や性格を映し出す鏡

― 「書は人なり」という言葉を、現代の私たちはどう捉えればいいでしょうか。

「書は人なり」というのは、もちろん技術の上手さだけではありません。書には人柄や体温が表れます。隠そうとしても、気負いや性格が滲み出てしまう。

2024年の大河ドラマで書道指導したときには、登場人物の個性や歴史的な資料に基づいてそれぞれに筆跡を変えました。キャラクターによって、例えば、清少納言は右上がりで強さを、紫式部はかわいらしく丸みを帯びた繊細な線、というように。藤原道長役の柄本佑さんの場合、彼は私が「道長の字を書く姿勢」を徹底的に観察して驚くほど正確に模写し、自分のものにされました。姿勢が整うと、自然と字もその人らしくなる。道長の実際の字は、実はあまり上手くありません。柄本さんが上手くなりすぎてしまったときは、「道長の字に戻してください」と、あえて下手に書くように助言することもありました。筆跡はその人の生き様や性格を映し出す鏡なのです。



手で書くことは、―人柄や体温を伝える手段としてより際立っていく

― デジタル化が進んでますます「手書き離れ」が進んでいますが、「手で書くことの意義」について根本さんのお考えをお聞かせください。

それについては、あまり悲観的になることはないと思っています。今、技術の進歩によって、手書きすることが少なくなり、文字は「打つ」時代から、「話せば自動で文字化される」時代になってきました。しかし私はむしろ、それをポジティブに捉えています。というのも、私たちが子どもの頃は「読み書きそろばん」が基本のスキルでしたが、それによって書くことが嫌いになったり、コンプレックスが生まれたりすることもあったと思います。美文字の「美」とは何か? 木版印刷から活版印刷、パソコンのフォントへと進化するにつれて「整った活字」が上手下手の基準となり、いわゆる美文字が評価されるようになりました。でも、そうした美の基準はAIの進歩によって壊れたと思っています。画一化されたお手本のような綺麗な字を書く技術はもういらない。

ではこれからどうなるかというと、「手で書く」行為は、かつてないほど「特別な価値を持つようになる」と思います。私は茶道が好きで時々お茶会を開くのですが、そうした晴れの舞台へお客様をお招きするときの招待状は、パソコンフォントではなく、やっぱり墨で書きたい。先ほどお話しした平安時代のラブレターと同じで、たとえ下手であったとしても、「自分とはこういう人間です」と、自分の息吹を伝えたいからです。

最近では結婚式のご祝儀までもキャッシュレス決済で送金することもあるそうですね。大変便利ですが、そこに添えられたタイピングのメッセージは誰から届いたものも全部同じ。でも手書きの文字にはその人の息吹、体温が宿りますよね。それはたとえば、手づくりのお菓子を贈ることとも似ています。コンビニで買ったチョコではなくて、誰かがつくってくれたチョコの方がやっぱりうれしいじゃないですか。

自分の時間を削り、相手を思ってペンを走らせる。そのひと手間をかけること自体が相手への敬意になる。これから手で書くことは、技術としての美文字より純粋に「書は人なり」、つまり書く人の人柄や体温を伝えて相手を感動させる手段として、より際立っていくでしょう。心のこもった手書きの手紙を受け取ることは、手づくりの料理をいただくような、そんな贅沢なギフトになる時代が来ているのです。

それは、筆記具選びにもつながります。ボールペンから万年筆になったり、筆になったりすることで、自分の言葉の温度感や着こなしみたいな個性をもっと表現できるようになる。それも手書きの魅力ですね。

私自身は、手紙や封書の宛名書き、原稿の確認など、大事な書類を書くときには万年筆を使っています。インキがたっぷり出るようにペン先を調整した万年筆を愛用しているのですが、それで書くとインキ溜りができるのもいい感じです。

普段使っているのは国産の万年筆がほとんどですが、それにも理由があります。日本の文字には「トメ、ハネ、ハライ」があって、例えば「東」という文字は、右下へ向かって払いますよね。この右払いを外国製の万年筆で書くと、筆跡が途切れてしまうんですよ。日本製の万年筆は、日本語を書くことをきちんと考えてつくられているのですね。





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漆黒の硯に水を落として静かに墨をする。色を見るのではなく、墨の光沢ですり具合を見ているのだという。



命の毛、きめ細かい和紙と墨。1000年の美を支える道具の力

― 書く道具が、作品そのものや創作活動に及ぼす影響についてお聞かせください。

私は今でも、日本で唯一、「命毛(いのちげ)」の効いた筆をつくる滋賀の筆工房製「巻筆」を愛用しています。この筆でなければ書けない線があるからです。

そもそも仮名文字がこれほどまでに美しい芸道として発展してきたのは、平安時代に起こった「道具の3つの奇跡」のおかげです。 まずは、筆。先端が細く鋭く尖り、かつ持ちのいい「命毛」を活かした繊細な「巻筆」が完成された。次に、和紙。中国の技術を超えるほど、きめ細かな紙を漉くことができる和紙職人が現れ、細い線を滲ませずに書けるようになりました。 そして、丁寧に時間をかけて取ったきめ細かな「すす」でつくられた「墨」が奈良で生まれました。 この3つの技術が、紫式部や清少納言といった才能、そして私が「仮名の神様」と仰ぐ藤原行成の登場と重なって、仮名文字の美しさが完成されていくことにつながったのです。

「書は、筆脈(ひつみゃく)の芸術である」と私は考えています。古の人々が綴った字を見ると、そこにはドキンドキンという生命の拍動が感じられる。どこで力を入れ、どこで息を止めたのか、道具を通じて、1000年前の書き手の鼓動を感じることができる。つまり、手で書いた文字には、筆の脈拍が宿っているのです。道具を厳選することは、自分の脈拍をどう紙に伝えるかを選ぶことでもあるのです。

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根本さんらが運営するサロンには、自身の作品でなく、先達の書が掛かる。先達に憧れ、敬う眼差しから、書の道を歩み続ける書道家としての熱意あふれる空間となっている。



コンプレックスを脱ぎ捨てるために

― 字にコンプレックスを持っている人も、手で書くことを楽しむためにはどうすればよいのか、アドバイスをいただけますでしょうか。

大事なのは「手習い」より「目習い(めならい)」です。美術館へ足を運んで美しい作品を静かに見たり、書道家でなくてもいいので憧れの人の筆跡、いいなと感じる字を眺めたりする。まずは目習いから始めてみてください。技巧を超えた本当の美しさにぜひ触れてみてほしいですね。

上手く書こうとする前に、そういったよいものをたくさん見ることで、自然と自分の字にもその空気感が宿ります。 誰かの字に惹かれる心、自分の「好き」を育てること、憧れの眼差しこそが、自分にとっての最高の師匠となります。

同時に、字を書くことへのコンプレックスを取り除くのは、私たち書道家の仕事だと考えています。型どおりの美文字を真似するだけでは個性がなくなりますから、それを手放して、「私はこういう字である」と身の丈に合う字を見つけるところから書の道が始まるからです。

そしてなにより、「伝えたい」という気持ちを持って、手書きを楽しんでほしい。 ボールペンでも万年筆でも、自分の好みの道具を選んで、一筆箋を添えてみる。返信を期待するのでなく、自分がやりたいからやる。そんな自分を丁寧にもてなすような時間が、きっと心を豊かにしてくれるはずです。



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「静かに見れば、どこにでも美はある」―静寂という名の装置

― 最後に、読者へのメッセージをお願いします。

現代はSNSなどの情報に忙殺され、心を静める時間が失われています。私が大切にしている「静観(せいかん)」という言葉があります。「静かに見れば、どこにでも美はある」。

刺激と美しさは別物です。忙しく動き回っているときは、足元の花の美しさも、光の加減も目に入りません。速さの中には「楽しさ」はありますが、「美しさ」は静寂の中にしか宿らない。旅行に行って、テレビもつけずにお風呂に入っているときのような、何もしない「暇(ひま)=何もしない贅沢な時間」に集中する。そこからしか生まれない美しさがあります。

お茶を点てる、能を観る、そして筆を手にとり、一画一画に集中しながら字を書く。日本の芸道はすべて、自分を強制的に静止させ、静かな時間を過ごすための「装置」です。美しさを享受するためには、まず自分自身が「静か」である必要があるのです。

日常の中にほんの15分でもいい。ときにはスマホを置いて、静かに墨をすり、今の自分を紙に写しとる。そんな「静寂を愛でる時間」が、皆さんの人生をより豊かに彩ってくれることを願っています。



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根本さんの創作において核心にある言葉「静観有美」とは、静かに見れば、どこにでも美は存在するという意味が込められている。

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根本 知 さん 書道家
博士(書道学)。2024年、NHK大河ドラマ『光る君へ』題字揮毫および書道指導。立正大学文学部特任講師。腕時計ブランド「GrandSeiko」への作品提供(2018)やニューヨークでの個展開催(2019)など創作活動も多岐にわたる。無料WEB連載「ひとうたの茶席」(2020~)では、茶の湯へと繋がる和歌の思想について解説、および作品を制作。2025年、上生菓子やお茶・日本美術を愉しめる静かな空間「東依(とうい)」をオープン。近著に、『10の法則で読む「くずし字」入門』(2025 淡交社)、『平安かな書道入門 古筆の見方と学び方』(2023 雄山閣)、『書の風流 ー 近代藝術家の美学』(2021 春陽堂書店)がある。

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