次の一手が読めないドキドキ感で、偶発的な面白さを表現
[柴田 久美 さん / 水彩、油彩、鉛筆]
2025/03/03
水彩、油彩、鉛筆とさまざまな画材で絵を描き続ける柴田久美さんをご紹介します。
普段は、垂らしや滲みのような「偶然」8割、「描きこみ」2割で描いています。大学時代から油彩で描いてきて、出産・子育ての日々の中でも描き続けたいと水彩を開始。最初はとっつきにくい画材でしたが、水と仲良くなると案外描けるものだなと感じました。画材の問題というよりも、「描きたい」と駄々をこねるうちに行きついた結果だと感じます。一睡もせず回遊し続ける魚のように、絵を描いていないと死んでしまう......、そんな「描きたい病患者」です。
突然、「これ無性に描きたい! 」って時があります。食べ物でもありますよね、無性に「あの店のラーメンが食べたい! 」って時。あの衝動的な感覚と似ています。森を描いてみたり、魚を描いてみたり、抽象画を描いてみたり、ケーキを描いてみたり、モチーフは一貫性がないように見えますが、描きたい! というモチベーションは同じです。創作の合間に手芸をするとリフレッシュできます。何かが出来上がるのは、絵画制作と似ている気がします。最近は着物をリメイクして洋服やバックにして楽しんでいます。着物の柄も創作意欲を高めてくれるかもしれません。
「描く過程でドキドキしているか」を大事にしています。次の一手が読めない感じ。続きが気になる漫画のような。水彩の垂らしや滲みは、偶発的な面白さ、次どうなる? というワクワク感があります。次この色を乗せたらどうなるだろうか? と好奇心で進んでいくと案外上手くいきます。手法については、絵の具や水を筆で落としていく点描で、光や泡の粒を感じられるような表現にこだわっています。
私にとって「かく」は、書く、描くであり、何かのためにというよりも「なきゃ生きていけない」という方が近いかもしれません。たとえ腕がもげても、一生描き続けていたいです。
私が描いた光や泡の表現に、誰かが足を止め、心が動いてくれたらうれしいです。「ほめてもらう」が源であり、ご褒美であり原動力。公募展に何年も応募していて、作品はたまりにたまるのですが、落選が続くと正直しょげるし凹むし、自律神経がおかしくなります。でも、筆を折ることはしませんでした。たまーーーーーにポンと良い知らせが舞い込んでくると、小躍りするほど喜んで、体の不調も改善してしまいます。単純です。
photoトップメイン:人の心の動きと、よせてはかえす波をリンクした作品「鼓動」。波の形に同じ物は一つもない。人間も同じ。 photo1:水彩で描いた作品「渦」。 photo2:コロコロ転がるさくらんぼは、一粒一粒ツヤツヤでビー玉の様で食べる前についつい観察してしまう。 photo3:儚く消えてしまう泡だからこそ美しく描きたい。水の中に星空を描きたいと、着想した作品「泡沫」。 photo4:色を重ねていく足し算の油彩に対して、水彩は水で色を洗っていくような引き算の表現方法。 photo5:家族で訪れる水族館など、日常の風景も創造の源。
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