2024/09/10
ミュージシャン/タレント 所 ジョージ さん「使い切ったボールペンは、自分の創作活動の目安です」
ミュージシャン/タレント 所 ジョージ さん インタビュー
本来のミュージシャンとしての活動以外にも、タレント、エッセイスト、イラストレーターなど多彩な活動に自然体で向き合う所ジョージさんは、世代を超えて多くの人たちに愛されています。家族を慈しみ、幅広い趣味を極める生き方を通して発せられる軽妙洒脱でいてユーモア溢れる言葉からは深みが伝わります。そんな所さんの日常に欠かせないのが「かく」こと。その魅力についてお話を伺いました。
― 近著 『幸せのひきがね』では、何気ない日常生活や体験談から独自の視点で、生きるうえでの大切なこと、そして楽しさが綴られています。執筆には主にペンを用い、さらに文章だけでなく、歌詞や曲作りといった創作活動も手書きでなさることが多いそうですね。
ボールペンは毎日同じものを使い続けて、多分1年で5本以上使い切るんですよ。それが自分の創作活動の目安にもなるし。何か思いついたときにメモしたり、いろいろ書き飛ばしたりしていくのはボールペンで、手紙を書くときは万年筆を使ってます。便せんにはオリジナルのエンボスを押してね。エンボスってコピー出来ないから世界にひとつしかない1枚になるし、自分だけのオリジナルになるでしょ。
手紙の隅にオリジナルのエンボス加工を施すのが所さん流。
手紙は自分が書いたものがその人の元に残るし、間違えてもメールなら書き直せるけど手書きだとそうもいかないから、その修正の仕方に個性が出るし、逆に創意工夫もできる。失敗じゃなくて、前向きな気持ちでそういうふうに僕はしたんですよ感が出ればいいわけ。それが楽しいし。僕も手書きの手紙をもらうと本当に感動するんですよ。植木(等)さんや伊東(四朗)さんなんかの諸先輩からいただいた手紙もずっと大切にとってあって、たとえ今はもうご本人はいなくても、文面もそうだし、手紙の書きっぷりというか、文字の流し方や形に面影や記憶が重なっていく。昔もらったときにはわかんなかったことが何十年かたって読み直してみて、「ああ、こういうことだったのね」ってあらためて気づくこともあります。
プリンタで印字したものは整っていて立派に見えるし、簡単に作れるけれど、それはもういいやって思う。僕は未来に対して、いろいろなものが便利になっていくことを必ずしもすべて心地いいとは思ってないんですよ。本来、未来なんて人が楽しく暮らすために先を考えるわけで、そうすると自分が今まで生きてきたなかで一番気持ちよかった頃の自分を自分にとっての未来と据えればいい。前に1回経験しているんだからわかりやすいし、そこに現在の自分が新しいものをチョイスして加える、単に過去に戻るのではなくて、そこを目指せばいいでしょ。なんでも便利で合理的になっていくことがみんなは未来と考えがちだけど、そうじゃなくて過去にあった気持ちのいい時代をより気持ちよくしてゆく、それが未来でいいんじゃない?
作詞・作曲はすべて手書き。書きためた曲数は膨大な量にのぼる。
― そうしたご自身の未来は1973年にあるとおっしゃってますね。創作活動の拠点である世田谷ベースにはまさにその時代感が詰まっているように感じます。所さんにとってそれはどのような年だったのでしょうか?
1973年っていうとちょうど自分が18歳ぐらいのとき、お金がなくて先輩たちが乗っているクルマに憧れてウキウキした頃です。いろいろなものがまだ手に入らなかった自分がすごく光ってる感じがするんですよ。当時住んでいた辺りにはまだ未舗装の砂利道も多く、そうすると今みたいな豪雨が来ると、遠くのほうから雨に濡れたほこりっぽい土の匂いがやってきてそれがわかる。そういう感覚が、もう懐かしくてしょうがない。今はネットで集中豪雨がきますよとか教えてくれるけれど、そんな情報は別にいらないんじゃない。
世田谷ベースが素敵なのは、基本的にそうした1960年代から70年代ぐらいのものしか置いてないこと。そこに便利になった今のものをたまにパッパッて振りかけて、組み合わせるぐらいがいいんです。オートバイで走っているときも目に入ってきた情報によって体やバイクは自然に動きます。それと同じで、こういうものに囲まれているから自然にいろいろなものを感じるし、新しい発想や創造力が刺激される。デザインがいい好みのものを見ながら毎日暮らしたいんですよ。
今の時代は全般的に、少しおおらかさに欠けるように思いますね。多くの人が私は正しいことをやっている、あなたのやってることがおかしいというところに自分を置きたがる。もう恩着せがましいっていうか。実はそう言ってる人ほど、いいことをしてないから人のやることを貶めることにしがみつくのかもしれないね。本当にいいことをしている人はそんなことに興味ないもの。
― 所さんが描かれるイラストからは、まるでひと筆書きのような軽妙さが伝わります。それはテーマやアイデアが先にあって描くのでしょうか。あるいは描きながら思いついていくのですか?
そう、すべて描きながらです。最初からこう描きたいとかはないんですよ。描いていくうちにそうなるだけで。下書きを描いて真面目に線を入れてなんてのはもう全然クリエイティブじゃない。試し書きをしている時点で「俺はダメな人間だな」と思っちゃう。うまくいったものだけを出したいけど、やってみてダメでしたというのも自分の作品というね。つまり誰にも才能があって、言い換えれば誰にも才能なんてないよっていうことです。みんなは初めからよくできましたって褒められたいから、うまくできないと「俺は才能がない」とか、「向いてない」とか言い訳してやめちゃう。誰だって最初からそんな上手なイラストも文も書けないし、向いてないんじゃなくてやらないだけ。やれば誰だってできるようになるものです。
そのあとは「1年やったけどダメだ」ってそんなことも言うんですよ。「この仕事は俺に向いてない」とかね。「やれよ!」と、「自分に向くまでやるんだよ!」って言いたい。死ぬまでやり続けて向かなかったら、そのとき初めて「俺に向いてなかった」って言えばいい。それにどんなことでも楽しくやっていれば、周りの人は楽しそうだなってだけで興味を持ってくれるものなんですよ。いやいややっている人には誰も近寄ってこないし、関わりたくないでしょ。いまの職業を「一生これやるのか」じゃなくて、楽しんではつらつとやっていれば、いつの間にか自然に自分がやりがいを感じる仕事やそこに近いところに行けると思いますよ。
― 手書きもそうですが、あえて手間をかけることによってむしろ楽しさや喜びが湧いてくるし、時間をかけて習熟していくことでさらに面白くなるのでしょうね。
2年ぐらい前に近所に引っ越してきた小学生がいて、お母さんと挨拶に来たんです。そのとき、僕がいなかったので手紙を置いていったんですよ。文面には「友達になってください」ってあって、それも「絵しりとりをやってください」っていうから「よし、やろうよ」って。僕はプロだから面白おかしく描くでしょ、手を抜かずに「どうだ、すごいだろ」って。それがもう2年続いているんだけど、ポストへの投函で続けてきたから本人とはその間一度も会った事がなかったんです。ところが最近、たまたま表に出たときに中学生くらいの子が通りがかって、ピンときた。声をかけたら、やっぱりその文通相手の子だったんですよ。
それまで文通だけだったけれど、気配でわかりました、本人だって。初対面だからこっちももうドキドキしちゃって、それは映画やドラマどころの感動じゃなかったですね。それもはじめにどんな相手かなと先に調べて、やり取りしていたらもうつまらなかったかもしれません。絵しりとりの交換だけで、いつ来るのかなとかポストをのぞいたり、あっちも届くのを楽しみにしてたんじゃないのかな。2年の間には中学校に入って、進学祝いにそれこそ万年筆を同封したら、そのお礼の手紙が素敵でした。「こういうものをもらうと、僕は中学生なので返せるものがないので、いりません。それにもらってしまうと友達じゃなくなっちゃうみたいで」って書いてあったんですよ。「いいんだよ」って大人の返事を書きましたけどね。
絵しりとりっていう、どうでもいいようなことを面倒くさいけどやめずにいて、僕は本当に楽しかった。たまに「期末テストのときは休ませてください」とか書いてあって、「そっちがやろうって言ったのに何が休みたいだよ!」と思ったり。年齢の差なんか関係ない、そんなやりとりがすごく面白いんですよ。考えてみると、待ち遠しいとかそういう気分もそう。すぐ手に入っちゃうというのは感動も薄くなっちゃうのかな。ドキドキするからうれしいし、一日ニコニコしていられるでしょ。いまはみんな余計なことをやらなくなっちゃって、書くこともそのカテゴリーに入りつつある。でもいろいろなことを“余計なこと”としてやらなくなっちゃうと、もうすべてつまんなくなっちゃう。面倒くさいからこそ面白いんです。
― どんなに仕事やプライベートが多忙でも、好奇心とともに自分のやりたいことに夢中になって向き合う所さんの生き方は憧れです。
いろいろやっているなかでも途中で立ち止まるっていうか、考え込むことのほうが多いんですよ。例えばオートバイをいじっていても、調子が悪い原因は何だろう、どういうことだろう?と本来の目的から外れていろいろと試すわけです。プロに修理をお願いするときでも、知ったかぶりとかせず僕は知らないことを全部聞くんですよ。例えば親が熱の出た子どもの具合を見て、今日は病院に行かなくても家でなんとかなるな、冷やしてあげよう、みたいな判断だってまず知識がないといけないでしょう?仕組みを理解してその対処方法を知っていれば、自分なりの応用力がもっと育つ。さらにはプロはこうやったけどとりあえずこれでも済むんじゃないの?っていう自分流のやり方を考えるのも面白いんですよ。書くことも一緒ですね。
僕の人生は、自分流のやり方で僕だけが楽しむんじゃなくて、それを身近で客観視するカミさんが楽しんでくれることがまず第一なんです。だからカミさんに一番よく見られたいし、あの人の思い出の中に僕が楽しそうに映っている事が僕は一番幸せなんです。自分の満足とかこうしたいなんて気持ちはある意味どうでもいいことで、カミさんをはじめ、周りからどう見られているか、ちゃんと楽しそうに見えているか、が大事なの。僕を見て楽しんでいるみんなの笑顔を見れば自分も楽しくなるんです。
所 ジョージ さん ミュージシャン/タレント/エッセイスト/イラストレーター
1955年埼玉県生まれ。ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの前座を務め、77年にシンガーソングライターとしてデビュー。演奏としゃべりを組み合わせた独自のスタイルで、タレント、コメディアンとして人気を博す。現在、司会を務める多数のレギュラー番組のほか、曲作りを続け、定期的に発表している。クルマやバイク、ゴルフ、モデルガン、模型など趣味人としても知られ、事務所の世田谷ベースはその遊び場として多くの仲間や友人が集う。
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