2025/01/08
大相撲 行司のもうひとつの仕事、「番付」の書き手
かく(書く・描く)ことを経て、何かを生み出すさまざまな仕事を紹介するコーナー「かく、仕事。」。第3回目は、大相撲に欠かせない「番付」にスポットをあて、その書き手である行司の仕事を紹介する。
土俵上にとどまらない、行司の役割
ヒット商品番付や温泉番付などの格付けでよく耳にする「番付」という言葉。その語源は、日本の国技である大相撲に由来する。大相撲における「番付」とは、年に6回開催される大相撲の本場所ごとに力士をはじめ年寄や行司の序列を一覧にしたもので、いわば相撲界のランキング表だ。その「番付」が、現在も行司の手作業で書かれていることをご存じだろうか?
大相撲の世界で行司といえば、土俵上で軍配を上げて勝敗を判定する「土俵裁き」の姿が思い浮かぶだろう。しかし、その仕事は土俵上だけにとどまらない。取組の勝敗を告げる場内放送や懸賞のアナウンスも行司が担うが、「番付」をはじめ、表舞台から見えることのないさまざまな場面で必要とされる「書く」仕事も行司の重要な役割なのだ。
今回、戦後8人目となる番付書き手を担う幕内格行司、2代目木村要之助さんにお話を伺った。
土俵上で軍配を上げる2代目木村要之助さん。写真提供:日本相撲協会
番付の起源は定かではないものの、遅くとも300年以上前の江戸時代には、木の板に墨で書かれた板番付を興行場入口に掲げた記録が残っている。明治時代の興行場が描かれた絵の画面右端には、入口横に板番付が掲げられているのが見える。(両国大角觝之図/井上探景 画)写真提供:日本相撲協会
番付の歴史など詳しくはこちら(外部リンク:日本相撲協会)〉〉〉
番付以外にも多岐にわたる「書く」仕事
要之助さんに案内された両国国技館の支度部屋では、十数名の行司たちが筆を手に、机や板番付に向かう姿があった。
「意外に思われるかもしれませんが、行司は想像以上に『書く』仕事が多いんですよ。本場所前に発表・配布される紙の『本番付』の元書き(原版)はもちろんですが、それ以外も多岐にわたります。まず番付に関するものだけでも本番付以外に、場所中入口付近に立つ大きな『板番付』や、場内の東西に力士の名前が掲げられる『電光掲示板』、他にも、取組の勝敗を記録する『巻(まき)』と呼ばれる和紙の巻物や場所後に発行される『星取表』の元原稿など、実に多くのものを書きます」
部屋によっては、式典や格付昇進の際の招待状や封筒の宛名なども行司が手書きしているという。「書く」という行司の仕事は、場所中はもちろん、大相撲の運営全般において欠かせないものとなっているのだ。
本場所2週間ほど前に発行される「本番付」(縦58×横44センチ)は、今も行司の手書きでつくられる。本番付の担当は書き手1人と助手2人の3人、幕下格以上の行司が務める。
電光掲示板用のプレートに、大きな筆で四股名を書く要之助さん。新たに十両に昇進した力士や改名した力士の分を場所前に東西2枚ずつ新たに書く。
入口付近に立つ板番付はヒノキ製で、約高さ2×幅1.5メートル。行司として入門して7~10年で板番付を任されるようになる。
真っ白な状態から全力士の番付を書き入れる
現在大相撲で本場所へ向けて一番初めに発表・配布されるのは、紙の『本番付』だ。配布されるのはA2サイズくらいの紙だが、その原版となる元書きは約4倍の縦110×横80センチの真っ白なケント紙である。紙の左右を東西に見立ててそれぞれ5段組で引いた枠の1段目から5段目に、横綱、大関、関脇、小結、前頭、十両、幕下、三段目、序二段、序ノ口まで総勢600人前後の力士の名前、続いて、理事、委員、世話人、若者頭、年寄、呼出、床山すべての名前、そして真ん中には行司と日本相撲協会の名前が書き入れられる。
本番付担当行司の「書く」仕事は、千秋楽の翌日からすぐに始まる。来場所へ向けて新しい本番付をつくるのだ。
「千秋楽の3日後に開催される番付編成会議へ向けて、まずは力士の引退や改名などの情報を整理すると同時に、次の本番付作成の準備に入ります。現在、本番付の担当行司は、書き手の私と助手が2人。この3人は地方巡業には参加せず、本番付作成に専念します。編成会議には私たちが書記として参加し、その記録が来場所の本番付の元原稿となります」
その後、原稿作成や読み合わせを慎重に行い、元書き用の大きなケント紙に手作業で枠取りをする。枠線を墨で引くのは助手の仕事だ。これだけで丸1日かかる作業である。
「さらに、1段ごとに力士一人分の幅を計算して鉛筆でガイド線を引きます。例えば4段目に東西各98人の力士が入るとすると、それを正確に98等分して線を入れるのです。1段あたりの人数は場所ごとに変わるため、毎回正確な計算が必要で非常に時間がかかりますね」
そしていよいよ本番となると、元書きの書き手である要之助さんが部屋にこもって、10日から2週間ほどかけて一人で慎重に書きあげる。元書きが完成したら、間違いがないか3人で確認作業を行ってから印刷所へ渡し、4分の1に縮小印刷された番付が約60万部発行されるのだ。
番付編成会議で決まった原稿をもとに、真っ白なケント紙に墨で枠取りを行う。
もうひとつの書く仕事、神聖な「巻」
もうひとつ、行司の書く仕事には「巻(まき)」というものがある。場所中の15日間、すべての取組結果を記録する巻物だ。
和紙をつないでつくった巻には、番付同様、横綱から序ノ口までの全力士の名前が墨で書かれ、四股名の上下には勝敗を記録できるように余白がある。総勢600人前後の力士の名前をすべて書いた巻は、全長何メートルに及ぶのか想像もつかないが、これを場所ごとに新しく書いていくのだ。
本場所中の勝敗を毎日記録する「巻」。入門後5年ほどで序ノ口の巻を書くことができるようになる。
場所中は全力士全15戦(幕下以下は7戦)の対戦結果について、勝てば書かれた名前の下に、負ければ上に、対戦相手の判子を行司が手作業で押していく。巻を見れば、その力士が何勝何敗であるか一目瞭然となり、場所中の取組相手を決める資料としたり、場所後に来場所の番付を決める重要な資料となるのだ。昔からの伝統は形を変えることなく受け継がれ、このアナログな記録手法は変わることがないのだという。番付編成会議が終わると巻は相撲博物館で厳重に保管される。時折博物館で展示されることもあるが、その存在を知る人は少ない。
「巻の冒頭、横綱の名前を書く前には、『鏡』と書きます。お相撲さんを紙に映したのと同等の意味があるんですね。これも昔から変わらない伝統で、僕ら相撲界の人間は、この巻を人間と同じ神聖なものとして大事に扱っています。巻をまたぐなんてとんでもない。昔、巻をまたいでしまった者が、厳しくおとがめを受けたことがあるそうです」
「巻」に敬意を払う彼らの姿勢から、大相撲が神事であることを改めて想起させられた。
「行司は習字」。書くことは、すべての行司に必要なスキル
字を書くことは、行司にとって土俵裁きと同じくらい重要なスキルだ。行司として相撲協会に入門すると必ず「相撲字」を書く教習を受けることになる。番付に書かれるのは、相撲界独特の毛筆書体「相撲字」だ。隙間なく太く書かれた字は、「場内大入り満員で立錐の余地もないように」と縁起を担いだものである。
「行司になると、相撲字を書けなければ仕事にならないので、これはもうやるしかない。私自身も字を書くのはそれほど得意ではなかったのですが、必死に練習するしかありませんでした。なかには、土俵上の行司の姿しか知らずに入門して辞めてしまうケースもあるんですよ。いくら土俵裁きがうまくできても、相撲字が書けなければ他の行司の仕事はできませんから」
たとえ習字が得意でなくとも、字を書くことは行司になるために全員が必ず習得しなければならない技術なのだ。
相撲字を書くことの難しさ
相撲字の教習で、最初に教わるのは「山川海」だと、入門当初の手本を見せてくれた。「~山」「~海」など力士の四股名によく使われる基本的な字を繰り返し練習し、徐々に「錦」や「花」など、書く字の幅を広げていく。
「入門したばかりのころは、同じ字ばかり練習してつまらないと思っていましたけれど、画数が少ないシンプルな字ほどバランスをとるのが難しい。経験を積んで本番付の書き手を務めるようになった今、改めてその奥深さを実感しています」と要之助さんは語る。
相撲字の特性は、一般的な楷書をベースに肉付けをして太らせるところにある。字と字の空間を埋めるために、「はね」や「はらい」が普通の書体とは異なるのだ。とはいえ、一つひとつの字に相撲字としての手本や型があるわけではなく、書く人のセンスやバランス感覚によって、独自性を出しても構わないという。要之助さんも、先輩行司の書く字や先人たちの書いた番付を見ながら、真似て練習してきた。自分でアレンジを加えられるようになるまでには、とにかく数を書いて、最低でも10年以上の経験が必要だというが、要之助さん自身は30年以上の経験を積んだ今もまだ、自らの技術に満足することはないという。
入門当初手本にする「山川海」(左)と楷書の資料となる『書』という本(中)と紙の番付(右)。
終わりのない相撲字の修行
そして相撲字の難易度は、本番付の担当になると格段に上がるという。板番付の約4分の1サイズとなるケント紙の中で、「横綱」の大きくて太い字から「序ノ口」の細い字までを書き分けなければならないからだ。基本の相撲字を書く修行を経て「巻」、そして「板番付」、「本番付」と、行司としてさまざまな番付を書く経験を重ねるにつれ、字のサイズは太くて大きい字から徐々に小さい字を書く機会が増えていく。
「入門したころは、『楷書にお相撲さんのように肉付けして、太らせた字を書きなさい』と教わって、板番付を書く時には板全体が真っ黒になるように太く書く。隙間のない相撲字を書くことに慣れてきたところで本番付の助手になると、逆に細く書く練習をしなくてはならなくなるんです。太く書く癖を抜いて、細い字を書くのは本当に難しい。本番付の元書きは板番付よりも紙のサイズが格段に小さくなりますから、幕下はもちろん序ノ口までいくと相当に細い字を書かなくてはなりません。細いといっても相撲字の特徴はありますから、普通の楷書とは違うし、太い相撲字とも別物。これはとても神経を使う作業です。本番付の助手を務めるようになってからずっと、細く書く練習をしてきましたがまだまだです。元書きをするようになった今でも苦手意識があるんですよ。うまくできるようになるには、とにかく数を書くしかありません。一生修行ですね」と語る表情から、相撲字を書く修行の厳しさが伝わってくる。
本番付の元書きと同じサイズで字を書いてもらった。序ノ口(上左)と横綱(上右)では、大きさの差が歴然。下:番付表の上から4段目に書かれた序二段部分。
「基本を大事に」は、土俵裁きにも通じる大事なこと
行司の師匠からよく聞かされたのは「基本を大事にしろ」「絶対に格好をつけるな」という教えだ。行司にとって書く技術の中で、基本が最も大切であるとされている。そして、土俵上に立つ時もまた、最も大事なのは「基本」なのだという。要之助さん自身も、若い時はその言葉の意味がよくわからなかったという。でもある時、師匠が上位の格となってもなお、基本通りの所作をする姿を見て、その奥深さが理解できるようになったそうだ。
「例えば、軍配を上げるのは肩の高さと決まっています。それより高くても低くてもいけない。とはいえ、年齢を重ねると思うように肩が上がらなくなってきますよね。でも若いころから基本の型を徹底的に身につけておくと、多少軍配が下がっていても絵になる。身内が見てもかっこいいんですよ。土俵上も相撲字も同じです」
歳を重ねてもなお基本を重んじる姿勢は変わらない。経験を重ねなければ気づかない「基本の奥深さ」というものが確かに存在しているのだ。
行司はチームワーク。書き手と助手がフォローし合う番付の仕事
現在要之助さんは、十両以上の行司から3人選出される「監督」という役割を務めている。全行司を総括する監督としての仕事は、相撲字や土俵上の所作などの新弟子の指導役はじめ、さまざまな責任ある仕事を担う立場だ。相撲界では、親方と力士がひとつ屋根の下で寝食を共にしながら稽古に励む「相撲部屋制度」がよく知られるが、行司はどうなのだろうか? 要之助さんに尋ねてみた。
「行司も力士と同じく相撲部屋に在籍していて、入門後10年くらいは基本的に親方や力士たちと生活を共にします。行司の定員は45人と決まっていて(現在は43人)、部屋に所属している状況です。部屋によって方針は異なりますが、行司の仕事を教わるのは、同じ部屋の先輩か幾つかの部屋で構成される一門の先輩。特に一門の先輩からの影響は大きいですね」
とはいえ、巻や板番付など、行司の「書く仕事」はすべての行司が一堂に会して共に取り組むわけで、力士と異なるのは、部屋を超えて先輩や同志と向き合う時間が長いという点だ。巻の和紙を貼り合わせたり、板番付を数人で同時に書き進めたり、共同でやる作業も多い。要之助さんが手掛ける本番付も同様だ。
「編成会議の後、原稿作成も読み合わせも、すべて3人で行います。私が助手に常々伝えているのは、『何か疑問を感じたり間違いを見つけたりしたら、遠慮せずに必ず言ってほしい」ということ。もしも自分が書き間違った時に助手が気づいたとしても、教えてくれなければ誤った番付がそのまま約60万部も印刷されてしまう。責任重大です。だから、何かおかしいと思ったら言ってほしいし、言える雰囲気をつくるように心がけています。本番付の作業は一人では絶対に成し得ない仕事。行司はチームワークです」
伝統を未来へつなぐために守るべきもの
土俵上にとどまらず、想像以上に「書く仕事」が職務の重要な位置づけにある行司の仕事。受け継がれてきた伝統の中には、一見、デジタル化してしまえば効率的なこともあるように思えるが、途方もない時間と手間をかけ、手で書くことで守り受け継がれている伝統が確かにここにあった。
「一場所一場所、番付をはじめさまざまなものを手で書く手法や決まりごと、手順すべてが理にかなっているんですよ。表に見えないところに、奥深いものがたくさんあります。相撲は神事ですから」
本場所初日の前日、土俵を清め安全を祈願する土俵祭りでは、祭主として神事を執り行う役割も担う行司。脈々と続く伝統文化を次世代へ継承する誇りを感じさせる言葉が胸に残った。
取材協力:幕内格行司 木村 要之助 さん 三重県伊勢市出身。八角部屋所属。平成2年三月場所、木村真志として初土俵。平成6年木村要之助を襲名、平成27年五月場所で幕内格に昇進。令和5年三月場所より番付書き手を務める。 |
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