無機質なものから、「生命あるもの」を生み出していきたい
[清水 恵里 さん / 立体造形]
2024/07/30
張り子にアクリル絵の具を重ねて表情を描き、不思議ないきものたちの立体造形作品を作っている清水恵里さんをご紹介します。
幼き日、物語の中か、または現実だったのか、思い出せないほど遠い記憶の中で出会った「彼ら」に想いを馳せて。少し不思議ないきものたちの立体造形作品を制作しています。新聞紙や段ボールで形をつくり、絵本のような色合いを大切にしながらアクリル絵の具を重ねて表情を描いていく。立体作品でありながら、画用紙に絵を描いていく感覚に近いかもしれません。無機質なものから、「生命あるもの」を生み出していきたいという思いで、いきものたちを作っています。
物語や詩を書いて、空想から形にする子もいれば、日常の些細なところから生まれる子もいます。例えばいつも通る道でなんてことのないバス停や、家、ブロック塀の模様が、なんだかいきものに見えてくる。そんなイメージをチラシの裏なんかにさっとメモするところから始まります。すべての人形に共通しているのは、一人一人が物語をもっていること。どんな生まれ方をしても、どの子もそれぞれの目的や習慣の中で生きているのです。物語は1から創作することもあれば、既存の童話や神話をモチーフにすることもあります。自分の頭から生まれたものであっても、物語の空想を広げていくうちに「あ、この子はこんな子だったんだ」と、友達の新たな一面を発見したような気持ちになります。
素材は無機質でありながら、「生命あるものがそこにいる」感覚を作り出していきたいので、「いきものは不完全である」ということを常に頭に置くようにしています。人間の顔には、ぱっと分からなくても左右差があり、腕や足の長さも左右で少しだけ違う。それがロボットではない人間らしさだと思うので、曲線と、アシンメトリーな表情、体つきを意識しています。ただ本当に大事なのは、見えない誰かに翻弄されず、自分の「好き」を形にし続けること。出来上がった子のことを一番好きな自分でいたいと思います。
元々、大事な考えや感情を伝えるのが苦手だった私ですが、日々を記録する日記の中では気持ちを解放することが出来ました。「本当にそう思ってるのだろうか?」などと色々な気持ちが邪魔をして結局うまく言葉に出来ず、後悔することが多かった私でも、文字にすることで自分自身を知り、等身大の表現が出来たのです。それは段々、「書く」から「描く」へ伝染していって。今では人形作りが、自分と向き合い、表現する大切な作業となっています。出会った人が、人形から受け取ってくれるものがあればいいなと思うと同時に、忘れてしまってもいいと思っています。数年後、数十年後、ふとしたときに「あの子たちはなんだったんだろう?」なんて、思い浮かべる一瞬があるなら、面白いと思うのです。
人形作りを始めたきっかけは小さい頃から一緒にいるぬいぐるみ。人間の時間は有限なので、誰とだって出会いと別れがあります。人間が成長し、老いていく中で、生まれてから最後のときまで、いつも変わらず、ずっと近くにいてくれるぬいぐるみのような存在ってなかなか居ない。どんなときも背伸びせず自分のままでいられる場所があることが、日々の安らぎとなっています。
数年前に訪れたタイの地獄寺と呼ばれる寺院では、地獄の住人たちの人形が敷き詰められるように広大な土地に並んでいました。不思議と恐怖は感じず、現地の人々が子供たちと遊んでいて、なんだか暖かい場所に感じました。きっと人形たちにとって過ごしやすい場所なんだろうなと思います。日本にはない規模の神秘的な光景が今も目に焼き付いています。私はこれからも人形作りを続けていくと同時に、人形たちが過ごす空間作りにも時間をかけていきたいと考えています。いつか自分がいなくなってしまっても、その子が寂しくないように、みんなも寂しくないように。
photoトップメイン:三重県の海辺の町のアートイベントで、海女の神話にインスピレーションを得て作った「神さまの子ども」。 photo1:卒業制作の一部。皆既日食の日に集まった79体のいきものたち。写真はハイヒール姉妹。 photo2:人形、仮面、被り物などのアイデアスケッチ。 photo3:個展「マルレーネの残した木」にて制作した仮面。顔に鋏を持った男の子。 photo4:大きな被り物人形の制作シーン。 photo5:舞踏公演「開座」にて制作した植物の双子の子。
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