PILOT 10th ANNIVERSARY書く、を支える。

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創業秘話

船乗りの友情が国産万年筆を生んだ

並木良輔
和田正雄

パイロットの創業者、並木良輔と和田正雄は共に商船学校(のちの東京海洋大学)出身。二人の出会いは、並木が機関⻑をしていた「有明丸」に和田が乗船した時でした。船上で半年余りの共同生活を通じて意気投合した二人は「いつか、日本から世界に誇れるものを送り出したい」と将来の夢について熱く語り合い、それ以後固い友情で結ばれる事になります。

1906(明治39)年、船を降りた並木は母校の教授に迎えられます。研究熱心であった並木は、教授職の傍ら製図の指導に使う烏口(製図に使う特殊な筆記具)の先端の摩耗防止の研究から、それを応用した金ペン製造へと研究を進めていきます。当時、万年筆は次の時代の筆記具として脚光を浴び、需要が伸びていました。

1914(大正3)年、北海道の天然イリドスミン※1鉱石から、金ペンづくりで最も難問であったペンポイントの加工に成功。教授職を辞して金ペンの研究開発に専念します。

金ペンづくりは試行錯誤の連続で難航を極め、1915(大正4)年の暮、完成を目前に資金が底をついてしまいます。並木はそれまで窮状を救ってもらっていた和田に再び支援を仰ぐ手紙を送ります。並木と同様やはり船を降り実業家の道を歩んでいた和田からの電報が並木に届いたのは、年が明けた1916(大正5)年1月3日。文面は「カネ5000エンオクツタアトフミ」。当時は米一升が約13銭の時代、5,000円はとてつもない大金で、並木のために和田ができる最後の金策でもありました。並木は和田の友情に男泣きしたといいます。

並木の研究は一段と力が入り、約1ヶ月後の2月9日午後3時、ついに純国産の14金ペンが完成します。並木は知らせを受けて駆けつけた和田とともに喜びを分ちあいました。これにより並木は本格的な万年筆会社の設立を決意します。この後、和田は行っていた事業をやめ、並木とともに万年筆事業に一生をかける決心をします。

※1 万年筆のペン先の先端は摩耗に強いイリジウムなどの合金(イリドスミン)が溶接されています。これをペンポイントと呼びます

創立当時の金ペン
並木式烏口のポスター